
大屋根リングから見る景色って本当に綺麗ですよね。空と海が広がって、会場全体を一望できる特別な場所。
「万博が終わってもこの景色を見続けられたらいいのにな」と思う方も多いのではないでしょうか。
では実際に、2025年大阪・関西万博が閉幕した後、この巨大な大屋根リングはどうなるのでしょうか?
今回は、 大屋根リングの正体から、閉幕後の計画、太陽の塔に学べる保存の教訓、などをまとめてご紹介します!
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大屋根リングとは何か?

大阪・関西万博の会場をぐるりと囲むように作られた「大屋根リング」は、直径およそ600メートル、全長2キロにもおよぶ世界最大級の木造建築です。
来場者が日差しや雨を避けながら歩けるだけでなく、上にのぼると海と会場を一望できる「展望回廊」としても楽しめる、まさに万博のシンボル的存在。
特に注目されているのが、その建築方法。日本の伝統建築に使われる「貫(ぬき)構造」という技術を取り入れており、実は京都・清水寺の舞台と同じ工法をベースにしています。金具だけに頼らず、木と木を組み合わせて強度を保つという伝統技法を、最先端の建築に活かしているのです。
日本の木材【スギやヒノキ】がふんだんに使われていて、木の温かみを感じられるのも魅力のひとつ。最新技術と古来からの知恵が融合した建物だからこそ、「ただの屋根」ではなく、日本らしいものづくりの象徴としても世界から注目を集めています。
大屋根リングの下を通ると木のいい匂いしますもんね
大屋根リングは「世界最大の木造建築物」としてギネスの認定も受けており(建築面積の規模が根拠)、その規模と木材利用の象徴性から国内また、外でも高い注目を集めました。
万博閉幕後、大屋根リングはどうなるの?

気になるのはやっぱり「万博が終わったら大屋根リングは残るの?」ということ。結論から言うと…… 全部は残らないけれど、一部は残る方向で決まっています。
というのも、大屋根リングは木造でとても大きな建物。全部をそのまま維持するとなると、修繕費や管理費が莫大にかかってしまいます。
そこで大阪府や大阪市などが協議した結果、北東側の一部(およそ200メートル分)を残し、そこは公園として一般の人が散歩したり景色を楽しめるエリアにする、という方針がまとまりました。
大屋根ならぬ半屋根?
一方で、それ以外の部分は取り壊され、跡地は民間企業がホテルや商業施設、アリーナ、サーキットなどに活用する計画が検討されています。つまり、「シンボルとして少しは残す」「でも全部は現実的に無理だから跡地は新しい開発に使う」という、ハイブリッド型の落としどころになったわけです。
なので、万博が終わっても大屋根リングに上がって景色を楽しめる場所はちゃんと残ります!「あの時見たあの景色、もう一度…」という願いが叶うのは、うれしいニュースですよね。
太陽の塔から考えられること
万博が終わった後のシンボルといえば、やっぱり 1970年の大阪万博で誕生した「太陽の塔」 が思い浮かびますよね。岡本太郎のデザインによるこの巨大な塔は、当初「万博が終わったら取り壊されるのでは?」とも言われていました。
ところが、多くの人が「残してほしい!」と願ったことで撤去を免れ、今も万博記念公園のシンボルとして立ち続けています。
今まで結構取り壊す、取り壊さないは議論になっていましたね
実は太陽の塔も、残すまでにはいろいろな課題がありました。外壁の劣化や耐震性の不足で長く内部は非公開のままでしたが、何度も修復工事が行われ、近年では内部展示も復元されて一般公開されるようになりました。
さらに2018年には重要文化財にも指定され、「日本の戦後を代表する芸術作品」として正式に評価されています。
この流れからわかるのは、シンボルを「残す」というのは簡単ではないということ。
そうそう、太陽の塔も維持するのにそれなりのお金がかかっているのです
残したい気持ちだけではなく、修繕費用や管理体制をどうするか、長期的にどう活かすかまで考えなければいけません。太陽の塔はそのハードルを乗り越えたからこそ、50年以上経った今も人々を惹きつける存在になっているのです。
大屋根リングも同じ。全てを残すのは難しいかもしれませんが、「一部だけでも象徴的に残す」ことが、未来の人々にとっての大切な記憶や観光資源になる可能性は十分あります。
太陽の塔の例を思い出すと、「リングの一部保存」という今回の決断が持つ意味がより深く見えてきますよね。
万博跡地はどうなるの?
大屋根リングの“その後”とあわせて気になるのが、万博が終わった跡地全体の使い道です。
実はすでに大阪府や大阪市が民間からの提案を募っていて、いくつか具体的なプランが出てきています。その内容はかなりスケールが大きく、たとえば…
- 大型アリーナやホテル、商業施設を整備する
- 公園やレジャーエリアとして家族で楽しめる空間にする
といった具合に、次の大阪の目玉スポットを目指すような開発が検討されています。
つまり跡地は、「大屋根リングの一部+公園」と「民間による商業・エンタメ開発」が組み合わさった形で生まれ変わる可能性が高いです。
1970年の万博跡地が「万博記念公園」として親しまれてきたように、今回も「残す部分」と「新しくつくる部分」のバランスが大事になりそうですね。
問題は場所だと思います。結構アクセス悪いですよね、そこまでして行きたい「何か」があると栄えるかもしれませんね
カジノ案どうなった?
同じく夢洲ですが、万博会場の跡地とは区画を分けて整備される予定だそうです。ただし、順風満帆かというとそうではなく、反対運動や訴訟、コスト問題などが並行して議論されています。
さいごに
大屋根リングが少し残るとのことで、安心した方も多いと思います、また、一方で同じ「夢洲」で作られるであろうリゾートやカジノ。
万博が終わったあとの姿にこそ、本当の意味での「未来社会の実験」が見えてくるのかもしれませんね。